視える

心霊・怪談・本当にあった話かもしれない。暇つぶしにどうぞ~。

【不思議な話】裏山のお不動さん

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私の実家の裏山にはお不動さんと小さな祠があった。

 

各家の先祖が本州や四国から渡ってきて未開の地だった土地を切り開き、農地を作った。

その代々引き継がれて発展してきた土地や民をお守りいただくために、ある家がお不動さんをうちの裏山に祀ったらしい。

 

 

小さい頃に曾祖母に連れられて、よくその裏山のお不動さんにお参りに行っていた。

お参りに行く道も少し道筋がついただけの自然の山の傾斜を登っていく、ほとんど獣道のような参道だった。

目の前に生えている木の枝を掴みながら山を登ったのを覚えている。

冒険をしているようで、とても楽しかった。 

そんな楽しい山道だから、曾祖母とのお参りだけじゃなく、私と弟の遊び場の一つにもなっていた。

 

曾祖母は信心深い人で、毎朝仏壇のお参りは欠かさなかったし、お寺のお参りにも私を連れてよく行っていた。

曾祖母と一緒にお寺に行くと、色んな家のおじいちゃんおばあちゃんが相手をしてくれた。

それに「こんなに小さいのにおばあちゃんとお参りに来て偉いねえ。」なんてたくさん褒められるし、お菓子もたくさんくれることが嬉しくて、曾祖母とお寺に行くのが楽しかった。

 

かといって私は今、そんなに信心深い方ではない。

 

曾祖母が熱心にお寺に行っていたのも、「自分の子どもを何人も2才くらいで亡くしていたから、その供養に」だったんじゃないかと、大人になって色々わかったからこそ思う。

 

 

話を戻そう。

曾祖母とお不動さんにお参りに行くと、まずはお不動さんにご挨拶とお参りをする。

それから小さな祠の簡単なお掃除と、まわりに生えている雑草をむしったりした。

それがいつものお参りのルーティンだった。

そういえば曾祖母はお供えする日本酒を持って山を登ることもあったなあ。

 

小さな祠の扉を開けると、さらに小さな扉があった。

それを私が触ることは絶対に許されなかった。

なぜなのか、それは私にはわからない。

一度それを開けようとして曾祖母からきつく注意された。

それ以来、「これは子どもは触っちゃいけない物なんだな」という認識で触れたことはなかったし、なぜなのかも聞かなかった。

きっと子どもが触って、間違えて壊さないか心配だったんだろう。

今の私なら迷うことなく理由を聞くだろうし、きっと勝手に開けてお参りしていたかもしれない。

 

でも、こんなに何度もお参りに来ていたのに、不思議とお不動さんのお顔を覚えていない。

ただお参りに行った事実しか覚えていないなんて、不思議だ。

 

 

私は曾祖母がお参りする全ての物を何も疑うことなく、一緒にお参りしていたし、お参りして普通の事だと思っていた。

きっとそれは田舎特有の「拝めば救われる」的な宗教観だっただろうし、今の時代の無宗教で無信心の人たちからすると、異様な光景なのかもしれない。

でもそれが、その当時の私にとってはごくごく普通であり、日常のひとつだった。 

 

 

 

そのお不動さんがある日、そこから無くなった。

大勢の大人の手で、お不動さんが一方的にお役目を終えさせられ、下ろされたそうだ。

 

当時まだ小さかった私はこれまでに皆をお守りしてきたお不動さんが、そこから引きずり降ろされただなんて全く知らなかった。

読んで字のごとく、重たかったか、下ろすのが大変な斜面だったせいか、縄をかけ「引きずりおろされた」らしい。

 

その後、曾祖母と一緒にお参りに行ったときに小さな祠が無かったのにもそれほど疑念を抱かなかった。

「いつもとなんだか雰囲気が違うな」ぐらいにしか感じていなかった。

お不動さんがあったであろう場所に手を合わせてお参りしていた気もする。

 

お不動さんが無くなってからは、そこに行くこともだんだん減ってきていたけれど、曾祖母が元気なうちは、それでも時々一緒に登って草むしりなどもしていた。

 

 

それからその土地で色んな異変が立て続けに起こることになるとは誰も思わなかっただろう。

 

 

これまでにどんな台風が来ようとも、大きな被害を受けることは無かったが、お不動さんを下ろした後の最初の台風で酷い水害と風で農作物がこれまでにない程の大ダメージを受けた。

雹(ひょう)害も今までにないような酷いものだったし、あれ以来それ程ひどい雹害にもあっていない。

 

そしてよくある祟り話のようだが、お不動さんを引きずり下ろす際に先導に立った人たちが次々と亡くなった。

しかも皆、急死。

私の記憶にある限りではお不動さんを下ろしてから3年の間に3人が急死した。

死因は急性心不全、脳溢血など突発的なものだった。

 

その他には脳こうそくで倒れて後遺症が残った人もいた。

いずれもお不動さんに縄をかけて引きずりおろすのを先導した人たちだ。

 

例にもれず私の祖父も急死した一人である。

 

引きずりおろされたお不動さんは、下ろされた際に所々壊れたそうだ。

 

その時のお不動さんの無念がそうさせたのだろうか。

それとも、そのお不動さんのまわりに集まってきていた別のものたちが騒いだのだろうか。 

 

 

お不動さんにお役目を終えていただくための儀式を地元のなまぐさ坊主に頼んだのも、大きな間違いのひとつだと思う。

そのお不動さんはそこのお寺で今でも供養されているそうだが、名ばかりの供養だと思う。

もしくはそれだけの供養では供養と言えないほどにお不動さんの無念の方が強いのかもしれない。

 

そもそもこれまで土地を守ってきてくれたお不動さんを下ろすことにしたのが大きな間違いだと思う。

決めたのは、お不動さんをそこに祀ることした家の人間だ。

もちろんそこの家は色んな意味でかなり崩壊した。

 

 

 

ただあれから30年近くたったので、その念はいくらか薄くなってくれただろうか。

今ではあの時のように急死する人が続いたり、事故が続いたりすることもなくなった。

 

ただただそのお不動さんの寂しさを感じるのは私の気のせいかもしれない。

 

 

 

私はもうその土地の人間ではないし、そのお不動さんのことについてどうこう言える立場にない。

それに時代に逆行した「偶像崇拝」的なものも好まれないことも承知しているし、私もそこまで信心深い人間ではない。

 

ただそのお不動さんがよりよって「不動明王中の不動明王」と呼ばれるほどの「青不動」だったことが、事をさらに大きくしたのではないかと思う。

 

 

 

私の父はいまだに「あのお不動さん、もう一度祀ってあげたほうがいいだろうか」ということがある。

お不動さんについて父と話したことはないけれど、父も何かしら感じ取っていたのだろうか。

 

 

私が今住んでいる土地の近くには、何のご縁か関東三大不動のひとつがある。

曾祖母とお参りしたことをふと思い出す時がある。

そんなとき、年に一度か二度だけど、思い出した後のお天気がいい日にはお不動さんに会いに行っている。

実はあまり深い意味を持って、お参りに行っていない。

曾祖母との思い出を噛みしめたいのと、お不動さんのお顔を見たくなるだけ。

 

天気が良い春先やまだまだ寒いけれど太陽がポカポカと暖かい小春日和は、曾祖母と散歩に行った裏山やお不動さんを思い出す。

そういえば今月は曾祖母の命日だったなあ。

亡くなってから23年が経つ。

 

曾祖母がよく作ってくれた「ストーブで焼いた焼き芋」をおやつに、これもよく作ってくれたレシピ名はないけれど「蜂蜜を溶かしたお湯」を久しぶりに飲んでみようかな。